本作にお寄せいただいた感想
90歳を超える方々の証言に強いインパクトを感じました。また、資料映像の豊富なことにも驚かされました。アメリカのアーカイブのことを知らないわけではありませんが、前橋という一地方都市の当時の状況がきちんと記録され残されていることはやはり驚きでした。
現在の堕落しきった自民党政治も戦争中の軍部のデタラメさに直につながっているのが良くわかります。
――戸田桂太さん(元NHKカメラマン 武蔵大学名誉教授)
感動しました。涙が止まらなかった。
証言者の皆さんたちの生々しい「記憶」のすごさ。丁度感受性が芽生える年頃に目の当たりにした “戦争”だった。それだけに一層、鮮明に焼き付いている。以来73年、年齢的にも、もうぎりぎりだった。間に合った。よくぞ「記録」した。
当時5歳だったわたしは、証言者のみなさんたちの末席に連なります。疎開先だった炭鉱のある福島の峠道で、“機銃掃射”も体験しました。わたしを抱えて、母親が熊笹の茂みに転げ込んで助かった。
わたしを含めてそういう「記憶」を触発する力がこの作品には漲っている。
――桝井論平さん(元TBSアナウンサー)
太平洋戦争のさなか、群馬県の中央部に建設された<陸軍前橋飛行場>が利用されたのは、敗戦で廃止されるまでの僅か1年間。建設に駆り出された地域の人々、特攻隊員と地域の人々との交流など、さまざまなドラマが生まれています。
当時を知る多くの人々へのインタビューを重ねて、ようやく1本の映画になりました。いずれの証言にも目を啓かせられる思いがしています。話を聴けば聴くほど、21世紀に生きる自分と当時の人々とが地続きで、彼らのすぐ隣にいるような錯覚を覚える事もあり、もし、あの時代に生きていたら自分も特攻に志願していたかもしれない、と思うことすらありました。怖さを実感しています。その怖さを知り、この事実を伝えることがとても大切です。それが歴史を知り伝えることではないでしょうか。
――映画監督 飯塚俊男
『陸軍前橋飛行場~私たちの村も戦場だった』は、「陸軍前橋飛行場と戦時下に生きた青少年の体験記」(鈴木越夫著)をもとに、戦時中に住谷 修さんが克明に記録した「村日記」を清書して今に伝える息子の住谷佳禹さんを始め、当時を知る人々の証言を丹念に収録し、国内外の当時の映像を駆使した貴重な記録である。監督の飯塚俊男は、知られざる地元の歴史を後世に伝えようと本作の製作を決意。飯塚の意図に賛同して、ベテランカメラマンの重枝昭典、構成編集は腕利きの鍋島惇と、一流の技術陣が脇を固めて完成に漕ぎつけた。
戦争終結から70年以上。戦争体験そのものが風化していきそうな今こそ、当時を生きた方々の証言や記録を子どもたちに語り継ぎ、二度と同じ道を歩むことのないように願って製作された力作である。
陸軍前橋飛行場の概要
所在地:群馬県高崎市(旧群馬町)
面積:160ヘクタール
建設開始:1943年5月
完成:1944年8月
監督プロフィール
飯塚俊男 (いいづか としお)
1947年群馬県前橋市生れ。東北大学在学中から小川紳介監督率いる小川プロダクションで ドキュメンタリー映画製作の道に。主な監督作に「小さな羽音」(1992年/文化庁優秀映画作品賞・キネマ旬報文化映画第1位)「木と土の王国」(1995年/科学技術庁長官賞他)「プッチーニに挑む 岡村喬生のオペラ人生」(2011年)など。
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